エスペラントの中立性を考える
エスペラントは中立を目指して作られた
エスペラントは、眼科医のザメンホフが国際補助語として作った言語だ。よく勘違いされやすいが、ここでいう国際補助語は既存の言語を置き換えようとするものではない。異なった第一言語を話す人々が、コミュニケーションをする際のツールとしてエスペラントは作られた。むしろ、既存の言語を積極的に保護しようとするものだ。
ザメンホフには、言語が違うことによって起こるトラブルを多く経験したバックグラウンドがある。こうした経験から、ザメンホフはエスペラントを作る際、エスペラントが全ての人にとって学びやすく、また中立な言語であることを標榜した。
一方でエスペラントの中立性については多くの議論が巻き起こってきた。多くの語彙がヨーロッパの言語から取られている点、ラテン文字を用いている点などを理由に、エスペラントの中立性を否定する議論も多くある。
「エスペラント」はエスペラント語で希望という意味だ。果たして本当にエスペラントが中立的なのか、今回は考えてみたいと思う。
エスペラント指数
エスペラントの中立性についての研究としては、水野(1980)がある。水野(1980)では、エスペラントの文法をその他の言語と比較することで、エスペラントの中立性を検証している。比較の結果は以下のようになっている。
表からもみて取れる通り、エスペラントはアジアの言語よりヨーロッパの言語に近い。こうして比較を元に、水野(1980)では「エスペラント指数」というものを提案している。これは、それぞれの言語がどれほどエスペラントとの類似点を持つかを表すものだ。ヨーロッパの言語でのエスペラント指数の平均が71なのに対して、日本語のエスペラント指数は30となっている。このことからもエスペラントが欧州寄りの言語であることがわかる。
こうした批判に対して、日本エスペラント協会は、同会が発行する雑誌、『エスペラント / La Revuo Orienta』(1997年1月号)で語彙が偏っていることを認めた上で、このように反論している。
まず、言語の構造から見ると、 (英・独・仏・露など)「ヨーロッパ語」は「屈折語」です。 これは、 「語形全体や語尾の変化によって文法的な働きを表すような種類の言語」 (「岩波国語辞典」)です。 いっぽう、エスペラントは 語根に接辞や語尾を添加する方式で、 各要素の形にはまったく変化がありません。 つまり、エスペラントは「屈折語」ではなく、 日本語や中国語のような「膠着語」または「孤立語」に似ているのです。
屈折語とは名詞、動詞などの自立語に助詞などの機能語がくっついて意味を表していく言語のことだ。例えば、
私はエスペラントを学んだ
の場合だとは。を、だはそれ自体ではなんの意味をなさない。自立語とくっついて初めて意味をなす。これが英語だと
I learned Esperanto
となり、learnの語尾を変化させることで「過去」を表している。このような点で、語幹に語尾や接辞を追加していくエスペラントは膠着語的であると主張している。
エスペラントが欧州よりであることは明らかだが、日本語の視点からみた場合について考えてみる。水野(1980)ではエス-日本語、エス-英語でエスペラント指数を算出していた。同じ計算式を用いて、英語-日本語の指数を算出する。比較表を元に、英語-日本語指数を計算すると、35となった。日-エスが30であることを考えると、我々日本人にとってはエスペラントより英語の方が学びやすいということになる。
この結果は体感とは大きく異なるし、英語の方が難しいという人が大半だろう。だが、少なくとも文法的には英語の方が日本語に近いという結果には驚かされる。
エスペラントの標準化
国際補助語の条件の一つとして、標準化されていることが挙げられる。方言などは存在せず、全ての話者が同じ文法、語彙で話しているということだ。
エスペラントが人工言語である以上、方言はないように思える。実際、エスペラントに方言は存在しない。だが、語彙上の差異は存在している。このことについて、飯島(1988)では以下の例を挙げてる。
- Vi povas iri.
- Vi dufras iri.
どちらも”You may go”の意だ。上の方が一般的な表現ではあるが、ドイツ語由来の下の表現もあり得るとされている。飯島(1988)では、さまざまな種類の英語、シンガポール英語、ナイジェリア英語などを踏まえ、Esperantoj(Esperantoの複数形)を認めざるを得ないと指摘している。
中立モレネ
エスペラントの中立性を論じる上で、中立モレネの事例は大変興味深い。中立モレネはドイツ語、オランダ語、フランス語の言語圏が接触する場所だ。そうして言語的複雑性を背景に、中立モレネではエスペラント語を公用語とする国家を樹立する動きがあった。詳細は黒子(2020)を参照いただきたいが、以下の点は特筆に値する。
- 異なる言語を話す人々の間のコミュニケーションにおいて、エスペラントが実用的に使われた唯一の例である点
- エスペラント国家樹立に対して、住民が好意的な反応を示していた点。
結局、エスペラント国家の樹立は頓挫してしまったが、実用主義的な観点でエスペラントを捉える上で、非常に重要な事例である。
現在のエスペラント
今日においてエスペラントが、ザメンホフが思い描いたような国際補助語の役割を担っているとは言い難い。エスペラントコミュニティ(世界エスペラント協会など)の外において、エスペラントは全くといっていいほど使われていない。退潮が指摘されるエスペラント運動ではあるが、エスペラントという言語自体が大きな可能性を持っていることは疑いようがない。
ザメンホフが夢見た、国際補助語が実現する日はいつかくるのだろうか。
参考文献
飯島周. (1988年). 現実的国際語としての英語の一面 : エスペラント語と関連して. 跡見英文学, 2, 1–12. https://atomi.repo.nii.ac.jp/records/1762
黒子葉子, & Kurogo, Y. (2020年). 国際補助語としてのエスペラントと中立性 : ドイツ・ベルギー国境地帯の複言語的状況の特殊性に着目して. 獨協大学ドイツ学研究, 77, 35–70. https://dokkyo.repo.nii.ac.jp/records/2171
水野義明. (1980年). エスペラントの「国際性」について. 明治大学教養論集, 132, 77–93. https://meiji.repo.nii.ac.jp/records/7377
特集記事「エスペラントへの疑問に答える」. (1997年). エスペラント / La Revuo Orienta. https://www.jei.or.jp/hp/ro9701/mizuno97b.html